大きな地球 フロントポエム

読者から送られてきた写真の世界を、詩人・図師照幸がまったく独自の想像力と創造力によってあたたかい言葉の世界に置き換えていきます。

No. 30 November, 2002


あなたが父親らしくなったのは
あなたが先生らしくなってずいぶん経ってからのことだ。

知隼が生まれた日
あなたはくしゃくしゃの笑顔で私を誉めると
すぐその足で学校へと出かけた。
子どもたちが待っているからと。
わたしは
あなたを笑顔で見送った病室で
知隼に語りかけたのだった。
あなたのお父さんにはたくさんの子どもたちがいるの、
だからしっかりしないと忘れられるわよ、と。

早紀が生まれた日
あなたは「ぼくに似てかわいいね」と勝手な感想を言うと
子どもたちが待っているからと出かけた。
病院に残されたわたしと知隼は
生まれたばかりの早紀に言った。
あなたのお父さんにはたくさんの子どもたちがいるの、
だからしっかりしないと忘れられるわよ、と。

たくさんの子どもたちがいるあなたが
疲れて帰った深夜
知隼と早紀の寝顔を見ながら
いいか、大きくなれよ
みんなに愛される、みんなの幸せを考えられる、
そんな人間になれよ、
そう語りかけているのを
わたしは静かに聞いている

写真提供:赤池和美
ことば:ずしてるゆき



No. 29 April, 2002

ママっ、あのお馬さん、変だよっ。
怪獣かなあ。
咬むかなあ。
咬まないよね、きっと、だってお目目が優しいもの。
どこで捕まえたのかなあ。
いくらかなあ。
高いんだろうなあ、だってお山さんを抱えているんだもんなあ。
どこで売ってるのかなあ。

授業を終えて部屋に戻った私は、母親から今朝届いたばかりの手紙の封を切った。

かすかな香りを放つ薄桃色の便箋は一枚の写真を抱いていた。
幼稚園の遠足で母親と一緒に動物園に行ったときの私である。
母はどうしてこのはるか昔の写真を送ってきたのだろう。
手紙には父が転んで怪我をしたことや母の近況が短く綴られているだけである。
慣れないアルファベットで書かれた宛名書きの、
Eton Collegeというところに下線が引かれている。
「娘はイギリスの将来の国王になる人や貴族の人たちが通うイートンという
とても立派な学校で日本語を教えているんですよ」
とふるさとの福岡の人たちに自慢話をする母はしかし、
遠い国で暮らす私のまなざしが
らくだを家に連れて帰りたいとぐずったそのころと
すこしも変わっていないということを知らない。


写真提供:黒岩麻季
ことば:ずしてるゆき



No. 28 November, 2001

お父さん、
あなたが逝って五年が経ちました。
大義[たいぎ]はようやく副住職になりました。
加寿代[かずよ]はロンドンで日本語の先生として頑張っています。

お父さん、
覚えていますか?
大義が二歳、加寿代が四歳のときの写真です。
暑い夏、
あなたは子ども二人を本堂の前の階段に引っ張り出して、
私に内緒で買った真新しいカメラを構えて、
そう、あなたはこう言ったのです。
「さあ、一番いい顔をしてごらん」
子どもたちは困りました。
「幸せな顔をして」
ますます困っています。
そこであなたは叫びました。
「私たちの大切な子どもたちよ、
いいかい、
これから君たちはどんどん背が伸びて、
太って、
漢字をたくさん覚えて、
掛け算も割り算もできるようになって、
それから、
人を愛するようになるだろう。
そうしたら、
いいかい、
君たちのとびきりの笑顔でその人を懸命に愛しなさい。
愛するということは、微笑むということだ。
愛するということは、その人に喜びをあげようということだ」
きょとんとしている子どもたちの前で、
私は、
お父さん、
あなたを愛してよかった、
そう思ったのです。
そして、そうあなたに言ったとたん、
子どもたちが大笑いをしたのです。

写真提供:本原加寿代
ことば:ずしてるゆき



No. 27 April, 2001

放課後の職員室で
期末テストの採点をしていたわたしは
突然やってきた女性との切羽詰まった表情に
一体何があったのかと息を呑んだ。

「やっぱり、いいや」
彼女が発した第一声である。
「どうせ、やっぱり」
第二声。

「どうしたんだ」
わたしの少し構えた第一声。
「やっぱり、じゃ、わかんないだろっ」
もっともな第二声。

わたしね、学校、やめようと思うんだ。
学校の勉強、面白くないしね。
友達と話しているときは楽しいんだけど
なんとなくそれも少しうそがあるようで。
何のために学校にきているのか、わかんないしね。
早く働いて自分で生活したいと思っているので、
それに、ね、先生。
幸せって何か
学校では見つからないような気がしてきたの。
幸せって、先生、何なの。

答案用紙に二十四点と赤ペンで書き込んだばかりの右手が
模範解答を探し始める。

「それはね」
なかなかいい滑り出しである。
しかし次が続かない。
「なかなか難しい問題だね」

「やっぱり、先生も、わかんないんだよ」
女性徒はそう言うとさっさと部屋を出て行こうとした。
「待てよ」
机の中からとっさに取り出した一枚の写真をわたしは見せた。
少し恥ずかしかった。

写真提供:吉田和彦
ことば:ずしてるゆき

No. 26 January, 2001

行ってきます、と
わたしはあたなに何度、言ったことだろう。
そのたびにあなたはかすかな微笑みを浮かべて
わたしを送り出してくれた。

わたしが出かける先はいつも
わたしにとっては初めての世界で
だからきっとあなたは
その微笑みの中に震えるため息を隠していただろう。

少年の日、
夏休み、
初めて一人で田舎の祖父母のところへ旅立つ日、
あなたはなぜか
駅に見送りに来なかった。
わたしは列車が動き出すまでホームにあなたを探した。
動き出すと、
わたしは泣いた。
目的地までの途中の駅名を確かめながら、
わたしはあなたを恨んだ。
はじめての一人旅に
少年のわたしは
未知の世界への期待を抱くとともに
恐ろしい世界への戦慄を感じていた。
あなたが作ってくれたおにぎりをほおばりながら、
心の中でわたしはあなたを責めた。

しかし、
あなたはいたのだ。
わたしが背を向けた世界のずっと後ろにあたなは静かにたたずんでいた。

それからわたしは幾度となくあなたに別れを告げた。
そしていつも
そのあたなのもとに帰って行った。

五十七歳になったわたしは、
母よ、
どこに帰っていくことができるのだろうか。

写真提供:福村英樹
ことば:ずしてるゆき